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コメに忍び寄る負の連鎖、
温暖化と高齢化が収量減に相乗作用
2025/04/30 05:00
日経速報ニュース

【この記事の内容】
『稲作が終わる?2045年に訪れる“作れない日本”の現実!米不足で家庭に起きる異変』
はじめに
温暖化と高齢化がもたらす収量減の現実
現在、気候変動と人口構造の変化という二重の負担が農業と介護の両方に影を落とし始めています。
とくにコメの生産では、温暖化と高齢化が複雑に絡み合い、収量の減少と品質の劣化という深刻な問題が進行しています。
この問題は、介護者である私たちにとっても無関係ではありません。
高齢者の「食」と「生きがい」に直結するからです。

温暖化がコメに与える深刻な影響
現在の稲の品種は高温に弱く、地球温暖化の進行により、今後コメの収量は21世紀末までに約20%減少すると予測されています。
さらに、高温障害によって「白未熟粒(しろみじゅくりゅう)」と呼ばれる品質の低い米が増え、見た目も味も落ちてしまいます。
2023年の猛暑では、新潟県産コシヒカリの最上等級比率が75%からわずか4.9%にまで下がるという衝撃的な事例もありました。
これは「将来の不安」ではなく、すでに現実の問題となっているのです。
高齢化が技術導入を妨げる構造的な壁
日本の稲作農家のうち、70歳以上が約6割、60歳以上では9割近くを占めています。
高齢農家は、身体的・認知的な理由から新しい技術や品種の導入に消極的になりがちです。
例えば、気温上昇に強い品種への切り替えや、田植え時期を調整するなどの対策も、若い担い手がいなければ実行が難しくなります。
これは、介護現場で新しい介護ロボットやIT機器が導入されても、高齢の利用者やスタッフが慣れずに使えないのと似ています。
技術的な解決策があっても、それを受け入れる「人の側の体制」が整っていないのです。

介護者の視点:お米が高齢者に与える意味
食の安定は心の安定
高齢者にとって、お米は「馴染みの味」であり、生活リズムを支える大切な要素です。
食卓からいつものご飯が消えることで、心の安定が崩れ、認知症の悪化やうつの引き金になることもあります。
介護施設でも、国産米にこだわった調理が求められるのはこのためです。
農業は人生の誇り、生きがいだった 多くの高齢者は農作業を通じて家族や地域と関わってきました。
農業をやめざるを得ない状況になることは、「役割の喪失」となり、精神的な打撃につながります。
現場では、自宅の畑を活かして軽作業を行う「農業リハビリ」も注目されています。
地域の支援がコメと高齢者を救う鍵になる
高齢農家同士や地域住民が連携し、新しい技術や品種を試す体制をつくることが必要です。
私の地域では、介護施設と農家が協力して、高齢者と一緒に田植えを行うプロジェクトがありました。
これは、農業支援だけでなく、高齢者の「自分もまだ役に立てる」という自己肯定感にもつながります。

家族の視点:お米の変化が家庭に与える影響
スーパーで売られているお米の品質が下がり、「昔の味と違う」と不満をこぼす高齢者が増えています。
農業の後継者不足により、「おじいちゃんの作ったお米」が家庭から消え、食卓の会話も減ってきたという声を聞きます。
お米は、家族の絆を支える大切な存在でもあるのです。
介護福祉の現場にも見られる類似の構造
高齢者介護の現場では、以下のような課題が農業と共通しています。
・高齢者のニーズの変化に対応する仕組みの不足
・「生きがい支援」が形式的になり、本質が失われている
・地域活動への高齢者参加が減少し、孤立が進行
・食材供給が不安定になり、介護食の質にも影響が出ている
このような中、地産地消の介護食導入や、介護と農業をつなぐ専門人材の育成など、新たな取り組みも始まっています。

結論:コメを守ることは、高齢者の尊厳と未来を守ること
お米はただの主食ではありません。
それは、高齢者の記憶であり、生きがいであり、家庭や地域とのつながりです。
気候変動と高齢化という「見えにくい変化」が、この文化を静かに蝕んでいます。
だからこそ、介護者である私たちは、お米を守るという視点を、自分たちの使命のひとつとして捉えるべきです。
お米の未来を守ることは、高齢者の未来を守ることに直結しています。
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